前橋地方裁判所 昭和37年(ワ)262号 判決 1968年7月20日
原告
下村由紀子
ほか二名
被告
有限会社高橋自動車商会
主文
被告は原告下村由紀子に対し、金三三九万二〇六二円、同井出一男および同井出アヤに対し、それぞれ金二〇九万六〇三一円、ならびに右各金員に対する昭和三七年一二月二日から各完済に至るまで各年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は仮に執行することができる。
事実
第一、原告らの請求の趣旨、原因
原告ら訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり述べた。
一、死亡事故の発生
昭和三六年一二月二三日午後一一時ごろ、訴外松田源治(以下松田という。)は五九年型トヨペツト普通貨物自動車(群臨一、〇四一号、以下本件車という。)を運転して前橋市岩神町二八〇番地先明和女子高等学校前付近の市道一号線道路上に差しかかつた際、自車を同所進行方向右側歩道に乗り入れ、折から当該歩道上を自己と同一方向に歩行していた訴外井出慶雄(以下慶雄という。)に対し、その背後から自車前部を激突させて同人をその場に転倒させ、よつて同人に対し、頭蓋底骨折、脳幹損傷、頭蓋内出血の傷害を負わせ、右傷害により翌二四日午後一一時三六分ごろ同人を死亡するに至らせた。
二、被告会社の責任
(一) 運行供用者責任
被告会社は次のような諸点から自己のために本件車を運行の用に供するものであつたというべきであるから、本件車の運行により惹起された本件事故に基く後記原告らの損害を賠償する責任がある。すなわち、
(イ) 被告会社は中古自動車の販売および修理を業として営む有限会社であるが、本件事故発生当時本件車を所有しかつ販売の目的をもつて占有管理し、同自動車につき、代表取締役高橋嘉一郎(以下嘉一郎という)個人の名義で自動車損害賠償責任保険(以下責任保険という)に加入し、かつ同名義で試運転のため自動車臨時運行の許可を得たうえ群臨一、〇四一号なる臨時運行許可番号標を本件車に付して運行の用に供していた。
かりに、右当時本件車の所有権が前記嘉一郎にあつたとしても、被告会社が自己の利益のために本件車を占有管理し、以て運行の用に供していたことにかわりはない。
(ロ) 松田は昭和三六年五月ごろ被告会社に修理工として雇傭されたが、すでに昭和二八年に普通自動車運転免許を得ているので、被告会社において主たる業務である自動車の修理作業に附帯して自動車を運転する業務にも従事していた。
(ハ) 松田は時々残業で退社が遅くなることがあるので被告会社の承諾を得たうえ通勤に被告会社の自動車を使用しており、本件事故当夜も被告会社専務取締役高橋隆の承諾を得て運転したものである。
(二) 使用者責任
かりに被告会社が本件車の運行供用者に当らないとしても本件車は以下に記載するごとく松田の過失に基くものであるから、被告会社は松田の使用者としてその業務の執行に付き惹起された本件事故に基く後記原告らの損害を賠償する責任がある。すなわち、
本件事故の発生地点は車道と歩道の区別の明確な幅員約九・九メートルの比較的見とおしのきく直線道路であり、事故発生当時は夜間のため交通量は極めて少い状況にあつたところ、松田は当日午後七時三〇分ごろから午後一〇時ごろまでの間日本酒約五合弱およびウイスキーをグラスに四杯飲んでおり、このため事故発生当時相当酩酊していたのであるから、それだけでも自動車運転者としては直ちに運転を中止するかもしくは安全運転をなしうる者と交替する等の措置をとり、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのになんらの措置を講ずることなく毎時約五〇キロメートルの速度で運転を続け、あまつさえ折から女性と共に歩行していた慶雄をその背後からおどす意図をもつて、自車を進行方向右側歩道内に乗り入れ、突然同人に近接させようとして、危険を顧りみず進行した過失により本件事故を惹起せしめた。
三、損害
(一) 被害者の得べかりし利益の喪失
慶雄は昭和三五年一月一日から死亡当時に至るまで伊勢崎市立女子高等学校の教師として勤務していた満三〇歳(昭和六年一月二二日生)の健康体の男子であつたから少くとも厚生省官房統計調査部刊行の第一〇回生命表に基く平均余命三八・八二年は生存し得たはずであり、また満五五歳までなお二四年一カ月間(昭和三七年一月から同六一年一月まで)稼働し得べきであつた。
(1) 得べかりし給与
慶雄の給与は死亡当時二等級七号給で(月額二万一三〇〇円であるが、同級二四号給四万四九〇〇円までは一二カ月毎(毎年一〇月一日より)、それ以降は九カ月毎に昇給し、さらに期末勤勉手当として毎年六月一五日に百分の百、一二月一五日に百分の二百の金員が支給されるから、これらを考慮して高等学校教育職給料表二等級(昭和三六年一〇月施行)により前記稼働可能期間内の慶雄の得べかりし給与の額を計算すると、別表(一)該当記載のとおり各昇給期間毎の俸給と期末勤勉手当との合計金額を算出することができ、慶雄は死亡によりこれらの得べかりし給与と同額の利益を失つたことになる。
そして、別表(一)該当記載のとおり各昇給期間の利益からホフマン式計算法によりその失つた得べかりし総給与の一時払額を求めると金八二三万八九三〇円となる。
このうち慶雄の生活費は右収入の三分の一を相当とするから右生活費は金二七四万六三一〇円となるので、これを差し引いて得られる金五四九万二六二〇円と同額の損害賠償請求権を慶雄が本件事故に基き取得したことになる。
(2) 得べかりし退職金
慶雄の退職金は伊勢崎市退職手当条例により支給されることになつており、稼働可能の満五五歳まで勤務して退職するとすれば別表(二)記載のとおり金九〇万八八二〇円の金額となるが、すでに受領している死亡退職金三万八三四〇円をこれより差し引き、さらに右退職金に対する慶雄の生活費を五割として右五割に相当する金四三万五二四〇円を差し引くと金四三万四二四〇円となり、右を前記ホフマン式計算法により算出すると一九万一五〇五円となるから、慶雄は得べかりし退職金一九万一五〇五円と同額の損害賠償請求権を取得した。
よつて、慶雄が本件事故により取得した損害賠償請求金額は以上(1)(2)の合計金五六八万四一二五円となる。
(二) 原告らの相続および保険金の受領
原告下村由紀子(以下原告由紀子という。)は慶雄の妻、原告井出一男(以下原告一男という。)および同井出アヤ(以下原告アヤという。)はそれぞれ慶雄の父、母であるが、原告らは慶雄の死亡により同人の取得した前記損害賠償請求権につきその相続分に応じてそれぞれ相続した。しかし、原告らはすでに責任保険による保険金五〇万円を受領してこれを前記金五六八万四一二五円に充当したからこれを差し引いた金五一八万四一二五円を前記相続分に応じて原告らが分配することになる。そうすると原告らの取得した慶雄の有した損害賠償請求権の額は原告由紀子が二五九万二〇六二円、同一男および同アヤが各一二九万六〇三一円となる。
(三) 原告らの慰藉料
原告由紀子は昭和三五年四月に慶雄と結婚し、一年数カ月しか経たない内に夫を失つたものであり、また原告一男および同アヤは慶雄の父、母で慶雄は長男であるから将来慶雄に期待した面は多く、従つて原告らが慶雄の死亡により蒙つた精神的苦痛は計り知れないものがある。また本件慶雄の死亡は松田が多量に酒を飲んだうえ、慶雄を後ろからおどそうとして本件車を突然近寄らせた悪辣極まりない行為に起因するもので、原告らとしては言語に絶するシヨツクを受け、永久にあきらめがつかない。
そこで、右の苦痛を金銭をもつて償うためには原告ら三名は各金八〇万円の支払を受けるのが相当である。
四、よつて原告由紀子は合計金三三九万二〇六二円、同一男および同アヤはそれぞれ合計金二〇九万六〇三一円の各損害賠償請求権を被告会社に対して有するから、原告らは右各金員およびこれらに対する訴状送達の日の翌日である昭和三七年一二月二日から各完済に至るまで各年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第二、被告の答弁
被告訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、請求原因事実に対する答弁として次のとおり述べた。
請求原因第一項の事実のうち、慶雄が死亡したことは認めるが、その余の事実は知らない。
請求原因第二項(一)の事実のうち被告会社が本件車を自己のため運行の用に供するものであつたことは否認する。すなわち、原告において、被告会社が運行供用者であることを根拠づけるために主張する(イ)ないし(ハ)の事実のうち、被告会社が原告主張の営業目的を有する有限会社であること、本件車が中古車であり、事故当日本件車につき嘉一郎名義で責任保険に加入したこと、松田が昭和三六年五月ごろ被告会社に修理工として雇傭されたことは認めるが、松田が原告主張の免許を有していたことは知らないし、その余の事実は否認する。
本件車は訴外東京トヨタ自動車株式会社(以下東京トヨタという。)の所有に属し、被告会社には展示品としておかれていたにすぎない。被告会社においては展示品の商談ができると直ちに東京トヨタにその旨を報告し、その指図を待つたうえで以後の手続を取進め、然らざるときは二週間毎に展示品は取替えられることになつていた。また、嘉一郎個人名義で責任保険に加入した点は本件事故の前日本件車について商談が成立した際臨時運行許可を得て欲しい旨頼まれたためその前提として責任保険に加入したものであるが、そもそも右の加入は何人の名義でもなし得るものであつて運行供用者であることを根拠づける事実となるものではない。さらに、原告主張の臨時運行許可番号標は訴外清水岩夫なる者が昭和三六年一二月一九日から同月二三日までの五日間他の自動車に対する許可を受けて使用していたものであり、それが本件車に表示されていたとすれば、松田が右番号標を借りてくるかあるいは勝手に持つてくるかしたものと考えられ、被告会社とは関係ない。
従つて本件事故は松田が運行の用に供していない展示品を勝手に乗り出したために惹起されたものであつて被告会社が運行供用者の責任を負うわけにはいかない。
請求原因第二項(二)の事実のうち被告会社が松田の使用者であること、原告主張の道路の幅員が約九・九メートルで、かつほぼ直線であることは認める。しかし、その余の本件事故が松田の過失に基くことの原告主張事実は知らない。また、本件事故が松田の業務の執行に付き惹起されたことは否認する。すなわち、本件事故当夜はクリスマス・イブであつたため松田は二カ所の酒場で遊んで泥酔していたのであり、また本件車の鍵は、被告会社の隣にガソリンスタンドがあるため火災をおそれて各車に付けておいたにすぎないのである。
請求原因第三項の事実のうち慶雄と原告らとの身分関係は認めるが、その余の事実は全て争う。
第三、証拠 〔略〕
理由
一、死亡事故の発生
〔証拠略〕によると、昭和三六年一二月二三日午後一一時ごろ、訴外松田源治が本件車を運転し、前橋市岩神町二八〇番地先の明和女子高等学校正門前付近道路上に差しかかつた際、自車を同所進行方向右側歩道に乗り入れ、折柄同歩道を自己と同一方向に歩行中の訴外井出慶雄の背後にその車体前部を激突させ、その場に転倒させたことにより、同人に頭蓋底骨折脳幹損傷、頭蓋内出血等の傷害を負わせ、その結果翌二四日午後一一時三六分ごろ慶雄を死亡するに至らしめたものであることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。
二、被告会社の責任の有無
そこで、被告会社が本件車を自己のために運行の用に供していたものであるかどうかの点について判断する。
〔証拠略〕を総合すれば、次の事実を認定することができ、被告会社代表者高橋嘉一郎本人尋問の結果中その認定に反する部分はその余の右各証拠に照して措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
(1) 被告会社は主として中古自動車の販売ならびに修理を営業目的とする有限会社であり、訴外東京トヨタ自動車株式会社の協力店として東京トヨタ所有の中古車を常時相当数預り保管し、これを展示して販売していた。
(2) 右の協力店たる関係は次のようなものであつた。
(イ) 被告会社の社員が東京都内にある東京トヨタに赴き、東京トヨタ所有の中古車のうちから東京トヨタないし被告会社によつて選定された車を、「預り証」を交付して借り受け、これを被告会社に運搬した後、販売のため展示し、原則として二週間ぐらい経過しても買い手がつかない場合には、被告会社がこれを買取らないかぎり、東京トヨタの指示によりこれを返還する約になつていた。
(ロ) 被告会社において買い手がついた場合には被告会社は買い手、支払条件等の契約条件を東京トヨタに報告しその許可があれば、そこで東京トヨタと被告会社間、および被告会社と買い手との間の売買契約が同時に成立するものとし、被告会社は更に売主として右顧客の便宜をはかり責任保険契約の締結、登録手続等の手続を行う。そして被告会社は右販売により、売買代金と東京トヨタの指定価格との差額あるいは手数料等東京トヨタとの合意に基いた利益を得る。
(ハ) 少くとも東京トヨタから借り受けた中古車が被告会社に運搬されてから、買主にこれを引渡し、または東京トヨタに返還するまでの間は、東京トヨタから期間の経過による返還の指図以外には中古車管理について何らの指図はなく、被告会社が責任をもつて保管していたのであり、その間被告会社において必要に応じて責任保険の締結、臨時運行の許可を得て、被告会社社員が、顧客と共にあるいは単独で試運転をしたり、顧客方に届けるなどして、これを運行の用に供していた。
(3) 本件車は被告会社が前記東京トヨタの協力店として東京トヨタから預り販売用商品として保管していたものの内の一台であるが、本件事故以前すでに販売の商談がまとまる見込みであつたので、被告会社代表取締役である高橋嘉一郎個人名義で責任保険契約を締結していた。
(4) 松田は昭和三六年五月ごろ被告会社に修理工として雇傭されたので、主たる業務は自動車の修理であつたが、運転免許を得ていた関係から附随的に被告会社車庫から展示場への中古車の出し入れをしたり、修理用自動車を被告会社へ誘導したり修理した自動車を注文者へ送り届けたり、さらには販売用商品を顧客に見せたりするためその運転業務にも従事していた。
(5) 松田は時に残業で退社が遅くなつた際には被告会社の承諾を得てその保管にかかる展示商品たる自動車を帰宅のために使用したことがあり、本件当夜も午後七時半ごろまで残業したので、被告会社専務取締役の高橋隆に本件車の使用許可を得たうえ、午後八時過ごろ事務所に保管されていた臨時運行許可番号標(群臨一、〇四一号)を本件車に表示して被告会社における同僚らと帰宅の途につき、途中本件事故を惹起したものである。
以上認定した事実によれば、被告会社は本件車の所有者ではないが、単に販売のため展示品として飾つていたにすぎないものではなく、販売のための必要に応じて被告会社の用務に使用することが許されており、被告会社はこれを自己の責任において保管していたものであることが明らかであり、そのほか被告会社と松田との雇傭関係、本件当日の被告会社専務取締役の事故車使用許可の事実等を併せ考えれば、本件事故の原因となつた松田の本件車の運行について一般的にもまた、事故当時、具体的にもその支配および利益が被告会社に帰していたものというべきである。
してみれば、被告会社は使用者責任の有無を判断するまでもなく本件車を自己のために運行の用に供するものとしてその運行によつて惹起された本件事故による後記損害を賠償する責任がある。
三、損害
(一) 被害者の得べかりし利益の喪失
(1) 得べかりし給与
〔証拠略〕によれば、慶雄は昭和三五年一月一日から死亡当時に至るまで伊勢崎市立女子高等学校の教師として勤務し、本件事故当時満三〇歳(昭和六年一月二二日生)の健康体の男子であつたこと、死亡当時の給与は高等学校教職員給料表(教育職)二等級七号給、月額二万一三〇〇円であり、別表(一)中「稼働期間」の欄記載のごとく同級二四号給である月額四万四九〇〇円までは毎年一〇月より一二カ月毎に、それ以降は九カ月毎に昇給すること、期末勤勉手当として少くとも毎年六月一五日に百分の百、一二月一五日に百分の二百の割合の金員が支給されること、がそれぞれ認められ、右金額ないし支給率が、今後の経済情勢の変動を考慮しても、これがより以上多額になることはあつても、減少することの予想されないことは経験則上明らかである。また、厚生省統計調査部公表の第一一回生命表によれば、慶雄の余命は通常三九・一六年と認められ、従つて前記同人の職種等の事情を併せ考えれば、慶雄は少くとも満五五歳に至るまでの爾後二四年一カ月間は教員として稼働することが可能であつたと認められる。
そこで、高等学校教育職給料表二等級(昭和三六年一〇月施行、甲第五号の三)に基づき昇給に応じて慶雄の稼働可能期間内の各年間毎の給与額(月給および期末勤勉手当を含む。以下同じ。)が計算上算出されるところ、慶雄の生活費は給与額の各三分の一に相当するものであることは原告らの自認するところであるが、総理府統計局公表の「家計調査報告」および群馬県企画部統計課作成「群馬県家計調査結果報告」の諸統計および前記慶雄の職業、年令、健康状態ならびに後記慶雄の世帯主たる地位等諸般の事情を考慮すれば、右原告ら自認にかかる金額をもつて相当なものと認められるからこれを右年間の給与額から差し引くべきである。
そうすると、年間純給与額が算出されるが、さらにこれより一年毎にホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して得べかりし純給与額の一時払額を求めると合計五五六万五二五四円となることが計算上明らかであり、右金員が慶雄の請求しうべき得べかりし給与額相当の損害金である。
(2) 得べかりし退職金
前記認定のとおり慶雄は昭和三五年一月一日から教員として勤務していたが、稼働可能な満五五歳となるのは昭和六一年一月二一日であることが明らかであるから満五五歳に至るまでの勤続年数は約二六年一カ月となる。そして満五五歳に至る当時の慶雄の俸給月額は前記認定のとおり金五万九四〇〇円であるから、結局慶雄が右稼働可能期間稼働して退職すれば得べきであつた退職金は伊勢崎市退職手当支給条例(昭和二九年七月一日伊勢崎市条例第一五号)第三条により金九九万五四四五円であることが計算上明らかである。
そこで、前記ホフマン式計算法に基いて右退職金の一時払額を求めると金四五万九三六円となることは計算上明らかである。(生活費は退職金との関係で損益関係に立たないから退職金からこれを控除しない。)
そして、後記のごとく慶雄の相続人である原告らはすでに慶雄の退職金として金三万八三四〇円を受領してこれを右請求金額に充当したことを自認しているからこれを控除すると金三一万二五九六円となることが計算上明らかであり、右金員が慶雄の請求しうべき得べかりし退職金相当の損害金である。
よつて、慶雄が本件事故による死亡により取得した得べかりし利益喪失による損害賠償請求金額は以上の(1)(2)の合計金五八七万七八五〇円であることが明らかである。
(二) 原告らの相続および保険金の受領
原告由紀子が慶雄の妻、同一男および同アヤがそれぞれ慶雄の父、母であることは当事者間に争いがないから原告由紀子がその二分の一、同一男および同アヤが各その四分の一の前記損害賠償請求権を相続したことが明らかであり、また原告らはすでに自動車損害賠償責任保険による保険金五〇万円を受領してこれを右損害賠償請求金額に充当したことを自認するからこれを差し引くと金五三七万七八五〇円になることが計算上明らかである。してみると結局原告らが慶雄から相続して有する損害賠償請求金額は原告由紀子が金二六八万八九二五円、同一男および同アヤが各金一三四万四四六二円となる。
(三) 原告らの慰藉料
〔証拠略〕によれば、原告由紀子は長い年月をかけて互に愛情を育てあげたうえ、信頼し合つた慶雄と昭和三五年四月結婚し、幸せな家庭生活を営んでいたが、それも本件慶雄の死亡により束の間となり、悲嘆と痛憤の念の消え去らぬまま死亡後六年有余を経た今日もなお再婚もせず独身であること、原告一男および同アヤは本件事故当時長男である慶雄夫妻と同居して経済的にも精神的にも一家の支柱として慶雄を頼り切つていたこと、本件事故は松田が被告会社の専務取締役と一緒に飲酒したうえ、本件車を運転し、前記認定のごとく道路右側歩道上を自己と同一方向に歩行中であつた慶雄の背後から本件車を激突させたものであつてその過失は極めて大きいこと、等の事実が認められ、以上の認定事実よりすれば原告らの蒙つた精神的苦痛は重大かつ深刻であると思料されるから、松田がすでに刑事責任を果したこと、被告会社の資産状況が思わしくないこと等の事情を考慮したとしても右の精神的苦痛を償うに足る金額は原告らの主張する各金八〇万円をもつて相当であるというべきである。
四、結論
よつて、被告会社は原告由紀子に対し、得べかりし利益の喪失による損害賠償金二六八万八九二五円と慰藉料金八〇万円とを合計した金三四八万八九二五円、原告一男および同アヤに対し、それぞれ得べかりし利益の喪失による損害賠償金一三四万四四六二円と慰藉料金八〇万円とを合計した各金二一四万四四六二円の支払義務があるから、右各金員の範囲内における金員およびこれらに対する本訴状送達の日であることが記録上明らかな昭和三七年一二月二日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告らの請求は全て理由があるからこれらを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 安井章 松村利教 大田黒昔生)
別表(一)
<省略>
別表(二)
(1) 1年以上10年以下 59,400×60/100×10=356,400円
11年以上20年以下 59,400×65/100×10=386,100円
21年以上25年以下 59,400×70/100×4=166,320円
合計 908,820円
(2) 死亡時に受け取つた死亡退職金…………………38,340円
(3) (1)-(2)………………………………………………870,480円
(4) 慶雄の生活費5割…………………………………435,240円
(5) 435,240×0.44(ホフマン式数値)……………191,505円